この物語はHushTug創業者の戸田貴久が2017年5月にモンゴルに単身移住することから始まります。

現地に住んで痛感した途上国ならではの深刻な社会問題を解決するために、「モンゴルに産業を創る」という一人の力では到底達成できない大きな挑戦を現地の職人と力をあわせて進めている真っ只中です。

日々、少しずつ進んでいくこの物語をワクワクしたりドキドキしながら、いっしょにお楽しみ頂けたら幸いです。

約3分でHushTugの誕生のきっかけや職人との出会いを説明

モンゴルの現実と深刻な社会問題

はじめての海外移住。モンゴルに関して下調べをしていきましたが、そこに広がる景色は想像とは別の世界が広がっていました。

遊牧民が大自然の中で動物とともに過ごしている。そんなイメージが先行しているモンゴル。しかし、実際に目の前に広がる景色は衝撃的なものでした。

モンゴルは貧富の差が激しく、捨てられる子供やスラムのゴミ山で生活する人がいる一方で、わずか10キロも離れていない場所で、高級車に乗り、大きな豪邸に住み、何不自由なく暮らす人たちが混在していました。

冬はマイナス40度になる極寒の国。

寒さをしのぐため、電気がない暮らしをしている人たちがプラスチックや使えなくなったタイヤなどの不燃ゴミを燃やし暖を取っています。

そのため街中は大気汚染が進み、空気が汚すぎて外をまともに歩くことが出来ません。

PM2.5の値は、WHOが定める安全値の100倍以上(北京の大気汚染の5倍以上)になり、首都ウランバートルは世界最悪の大気汚染と呼ばれています。

「モンゴルは、こんな問題を抱えているのか…。」

そんな驚きを感じた戸田が考えたことは「この問題を解決するために自分に何かできることはないだろうか?」ということでした。モンゴルという未開の地。その場所で自分に何ができるのか?を模索する日々が続きます。

モンゴルレザーとの出会い

モンゴルに住み、半年が過ぎた頃。

買い物中に偶然、モンゴルレザーの製品を手にとる機会がありました。町中で乱雑に売られていたレザー製品。値段はとても安いものの、デザインや作りは粗悪でした。

しかし、ふと思いました。

「モンゴルは動物が多くいる国だから素材は安く手に入る。日本のデザインや技術を導入すれば世界で通用する製品を作れるのではないか?」と。

その後、革の品質に詳しい専門家にも調べてもらうと、モンゴルレザーは誰しもが知るドイツの某高級車メーカーのシートに使われていたり、モンゴルで加工されている革の約40%がレザーの本場であるイタリアをはじめ、スペイン、トルコ、韓国などに輸出されたりしていることが分かりました。

その後リサーチを進めると、海外から人気がある理由の1つに「革の頑丈さ」という強みがあることが分かりました。

モンゴルの家畜は夏は30℃、冬は-40℃という世界トップクラスの厳しい環境を生き抜きます。そのため、様々な環境に対応できるように皮が頑丈に育つのです。

それに加え飼育環境も放牧なので、大気汚染に全く無縁であるキレイな空気のなかで自然の草を食べて育ち、のびのびとした生活が皮を丈夫にしています。

このようにモンゴルレザーは世界から評価される高品質な素材だったのです。

モンゴルレザーを巻き込む負のサイクル

ここまでの素材を持っているにも関わらず、モンゴルのレザー業界は、決して栄えているとは言えませんでした。

それは一体なぜなのか?と調べてみると、モンゴルには加工やデザインの技術力が乏しいせいで、付加価値の低い原皮での輸出が多くなっていたのです。

(色を付けたりする前の原皮。加工が少ないため当然価格は安く利益は少ない)

モンゴルの原皮がイタリアなどでバッグなどの最終製品になり、「Made in Italyの高級品」として世界に売られているわけですが、加工もできず、ただ素材を輸出しているだけのモンゴルには、大きな利益は入りません。

モンゴル国内で革製品を作っている業者もありますが、主に中国への輸出がほとんど。技術力が必要な製品を作るのではなく、いかに大量に安く作れるかに重点が置かれているため品質はイマイチ(革を切って縫い付けただけのような雑な作りが多い)でした。

素材として非常に優秀なモンゴルレザーがあるにもかかわらず、素材を活かせる加工、製品制作の技術がないため、レザー関連の産業が伸び悩んでいる。結果としてモンゴルのレザー関係者は利益を出すことが出来ず、職場設備や人材育成に投資することができないため、加工や製品制作の技術が育たない。

モンゴルのレザー業界はこういった負のサイクルに陥っていたのです。

HushTugが生まれたとき

「これだ!モンゴルレザーを使用した、質の良いレザー製品を作ろう!」

モンゴルのレザー関係者が巻き込まれている負のサイクルを断ち切るためには「世界で通用する高品質なものをモンゴル国内で作り、世界に売り出すこと」が必要でした。

現地に生産工場を作り、事業が軌道に乗っていけば、モンゴルにも技術が生まれるし、雇用が生まれる。雇用を生むことができれば社会の大きな助けになる。また、ブランドが広まることによってモンゴルの現状を知る人が増えていけば、モンゴルが抱える社会問題も解決の方向に向かっていくかもしれない。

ようやく、自分なりに一つの答えにたどり着きました。

この活動ならば、現地で頑張って働く職人に技術を身につけてもらうことが出来るし、日本の人たちにも長く使える高品質な製品をリーズナブルな価格で届けることが出来て喜んで頂ける。

「自分たちが心から使いたい!」

作るならばそう自信を持って語れる商品を作り、売り出そう。

HushTugが誕生したのは、この瞬間でした。

ブランドを共に作り上げる職人探しの旅

こうして、職人探しの日々がはじまったのです。

モンゴルの現状を変えるには、モンゴルレザーという上質な素材から高品質な商品を作ることが必要になる。そのためには挑戦に力を貸してくれる職人が必要不可欠でした。

世界水準のクオリティを実現するには目に見えないこだわりや、細かい部分を丁寧に仕上げることは大前提になってきます。モンゴルにはこのような技術も文化も乏しいため、職人探しは難航を極めました。

そもそも日本のように求人募集サイトがないため人と会うのは全て紹介です。さらに紹介してもらった職人と話をしても、

「そんな面倒なことはやらない」
「それだけやって何個売れるんだ?」

と全く相手にされない日々が続きました。職人にも目の前の仕事があり生活があるわけで、海外から来た見ず知らずの若者の想いや声が全く届かないのは当然です。

人から人へ。可能性がある人にはとにかく話をしに行きました。

そして職人を探して約3ヶ月が経過した頃。唯一、理念に共感してくれたのが小さい工房を営んでいたウンドラフさんとチムゲさん夫婦でした。

(左:ウンドラフ氏 中央:戸田 右:チムゲ氏)

「私達もモンゴルの現状には危機感を持っていました。タカ(モンゴルでの呼び名)と一緒に仕事をしたい」

販売先があるわけじゃない。いつ売り始めることが出来るのか全く想像がつかない。彼らは、そんな現状を知った上でも、一緒に挑戦する道を選んでくれました。

約1年間の試行錯誤の日々

職人が見つかったからといって、全てがうまくいくわけではありません。

むしろ、ここからが本番。世界で通用する品質の製品を現地で作ることの方が職人探し以上に難しいことでした。

高品質なものを作る技術やノウハウがない上に、言葉も十分に伝わらない。このような中で何度も何度も、試行錯誤を繰り返しました。

毎日のように工房に足を運び、職人と一緒に何度もサンプルを作っては修正し、何度も失敗しました。技術を習得するためにハイブランドのバッグを分解して研究したり、日本の革職人の元で数ヶ月間修行したり、出来ることは何でもやりました。

はじめてのメディア掲載

上手くいく保証なんてまったく無い中、今まで経験したことない挫折を何度も味わいました。

少しずつHushTugが一つのブランドとして形になってきていましたが、未だに日本では周囲に否定され、モンゴルでは現地の人に拒絶され、挫折しそうになっている時です。

私たちの活動に目を付けて特集や取材をしてくれる企業様がいくつか現れ始めました。

montsame(モンゴル在住の日本人向けの新聞)

(鳥取県を中心とした日刊新聞『日本海新聞』)

(宮崎県を中心としたケーブルTV番組『モンゴルは今』)

今までの自分たちの活動を、初めて肯定してもらえた瞬間でした。その時のことは今でも鮮明に覚えています。

「自分に付いてきた人たちを絶対に裏切らない」

この頃から、HushTugへの想いが更に強くなりました。

社運を掛けたクラウドファンディング

ブランドを立ち上げてから、約一年が過ぎたころ。

ようやく自分たちが納得できる高品質な製品が作れるようになりました。

しかし自分たちが納得しても、買ってくれるお客様がいなければブランドとして成り立ちません。

日本の人たちに受け入れてもらえるかどうか、クラウドファンディングという形で試そうと考えました。

目標金額は強気で50万円だ!

今までほとんど販売した経験がない中、半ば期待を込めて「これだけ売れたら大成功」という金額を設定しました。

プロジェクトを開始してから数日間、知り合いの方が何個か買ってくれたり、1日に数件商品が売れました。応援という意味で買ってくれたとしても、素直に嬉しかったです。

「このペースで行ってくれれば50万円達成できるんだけどな!」なんて悠長なことを言っていた数日後、突然異変が起きました。

ちょうど退職する社員の送別会を行っていたとき、たった数十分の間に商品が4件売れたのです。

「・・・なんかのバグ?」

素直にそう思いました。

しかし購入者を見ても、どうもいたずらやバグには思えないのです。当時の社内のチャットでも、全員が混乱と興奮が止まらない状態となりました。

後から分かったことですが、クラウドファンディングサイト内でおすすめプロジェクトとして紹介されたことがきっかけだったようです。

初めは50万円売れたら大成功!との思いで始めたクラウドファンディングでしたが、最終的にその目標を大きく超える金額を達成できました。

今までの活動が初めて数字として表れた瞬間でした。職人たちと我を忘れて喜んだことを今でも覚えています。

これまでの物語、これからの物語

これまでの物語を読んでいただき、ありがとうございました。

HushTugが誕生したとき。20代のノウハウも知識も経験も人脈もない若者が言語の通じないモンゴルで事業を創ると決めたとき。

多くの人から「無謀なこと」「成功しないから、やる意味のないこと」「レザー業界はライバルが多いから儲からない」と反対や白い目で見られました。

しかし困難だからこそ、誰もやらないことを国を越えて人種関係なく全力で取り組み成功させる。そしてモンゴルに新たな産業を創る。これだけ大きなことだからこそ、挑戦する意味があると僕は信じています。

そしてHushTugを通じて、自分たちの価値観や挑戦する姿勢を発信し「彼らでも出来るならオレでも出来るんじゃないか?」「私も何かやってみよう!」と何かを始める方が1人でも増えれば嬉しいです。

社会や誰かの問題を解決できる人が増えれば世界はもっと豊かに、もっと幸せになると信じています。

同時にモンゴルの方々が自国のレザーにさらなる可能性を感じ産業が盛り上がれば、国が変わる可能性だってあります。

「モンゴル」と「ユーザー」と共に成長するブランド。それが「HushTug」です。

活動の記録は、随時このページに追加していきます。

この物語はまだ始まったばかりです。現地の職人と日本の社員と力を合わせて沢山の困難を乗り越えていきます。これからの僕たちの物語を見守って頂けますと幸いです。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

HushTug代表 戸田貴久